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L'orbite metaphorique

2018-12

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歌を忘れた金糸雀は、
象牙の船に、金の櫂、
月夜の海に浮かべれば、
忘れた歌をおもひだす。
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夢の中で叫ぼうとしていた。声が出ずに、ただシュウシュウと音が漏れるだけだった。身体が眠りに拘束されている。

市街地はクリスマスの飾り付け。青色LEDの天の川ができた。マルシェ・ド・ノエルがまた半円形の広場に立っている。白熱灯の暖色の光は、日没の早い季節の憂鬱さを和らげてくれる。

傷と傷の間隔が狭いからか
傷が数ミリずつ開いてて
そこから何かが出入りしそうで
目には見えない得体の知れない物が
それが見たくて、何度も傷を見てる


昔好きだったパフォーマーが、スカリフィケーションの後に書いていた詩。あの女の子はもういない。死んだわけではなくて、でも彼女が彼女だった何かが、決定的に失われてしまった。この言葉にインスピレーションを得て、建築身体の解剖学というテーマで論考を書いたのももう3年も前のこと。

僕に何か息吹のようなものを与えてくれていた女の子たちは、どんどん通俗的な存在になって、僕はなんだかお伽の国の孤島に取り残された気持ちになる。

自分の体にも傷を負ったら、piagaの概念が体得できるかと思ったけれど、金属の薄い刃が皮膚に食い込んで一瞬の緊張と抵抗の後にピリリと切れる、あの瞬間の冷たさを想像すると背筋が震えた。僕の左肘には、おそらく一生治らないであろう傷跡がある。薄桃色をした滑らかな皮膚が、裂開の痕を覆っている。初対面だったある人には、「肘の傷がとても美しかった」と言われた。

傷は完全な開口部ではない。その奥にある何かが見えそうで、それでいて視線は遮られている。

明日のスピーチの草稿が、だいたい出来上がる。

++++++

穏やかに晴れた午後だった。向かいの棟のガラス窓に、淡い水色の空が映っている。

気分転換に、『ユリイカ』の森茉莉特集を捲ってみた。「書籍小包」なら料金が安いと耳にした母が、「小包の中に本が入っていれば書籍小包になるだろう」という広大なスケールの拡大解釈のもと、荷物とともに送ってくれたもの。

森茉莉はずいぶんと昔、実家の書棚にあった『父の帽子』を読んで、独特の癖のある文体と、父親に投影した幼児的なナルシシズムがどうにも居心地が悪く、その後は喰わず嫌いになっていた作家だった。

それなのに、「大変な部屋」と「繋がり」という短篇をひどく気に入ってしまった。
彼女の部屋にある物を、ただ淡々と美しく描写したもの。
読み終わった後には、自分を取り囲む事物の一つひとつを、優しく抱擁したいような気持ちにさせられる。

乾花にした鈴蘭、ペンなぞの入った銀色のチョコレェトの箱、菫の香ひの石鹸、窓の硝子戸に透かした色とりどりの硝子壜、乾燥した薄紫のスタアティス、黄金の栓の角い壜、レモンと苺の形をした小さなシャボン、可哀い犬や、猫、豹、ライオン、巴里の美しい女などの切り抜き、ボッティチェリの女神、化け物のように大きな紅い薔薇。

夢の世界を漂う方舟のような部屋である。
文章によって現実に美しい魔法を掛けることのできる人間が、この世には確かに存在するのだろう。

++++++

真夜中の大通りを歩く。空気は肌に痛いほどに澄んで、街灯の赤がやけに鮮烈だ。剃刀のような月が、枯木立のつくる編み目に引っ掛かっているのを見た。

++++++

現在の世界に踏み込んだのは、自分の中にある規定し難い衝動を表現する術を持ちたかったから。歳月の流れるうちに、自分のしていることがただの自慰行為の公開に過ぎないのではないかという疑いが、纏わりついて離れなくなった。その疑念からは未だ解放されず、だからもっと確実な基盤のあるものが欲しくて、無意味に心が乱れる。

認識と思考の枠組みを知ること、新しい思弁へと開かれた道を辿ることは、僕にとっては自由になることと等価だった。僕の思考の痕跡によって、他の誰かが一人でも自由になるなら、それは決して無意味なことではないだろう。昔の(おそらくは無知ゆえのものだったのだろうが)純粋な情熱を取り戻したい。

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急に思い立って、ピレネー山脈を越えてバルセロナに旅をした。高い青い空と、その空よりもさらに一段階濃い青の海。太陽は初冬の高さにいるけれど、強い光が真っ直ぐに降り注ぐ。

こちらに来てから、自分が現実の時間を生きているのか、自分の身体が実際の空間の中に存在しているのか、分からなくなるようなことが時々あったのだけれど、光の強い地方に旅をしたら、狂った時計を調整するように、自分の内面と外部世界とのズレが解消された気がする。

バリ・ゴティックやタラゴナの、迷路のように小路が入り組む中世のままの街並。その一方で、バルセロナ旧市街の外側には、方眼紙のように規則的な街路や、世界のアーキテクトたちが設計した現代建築が集まっている。その両者ともに、感覚に刺さるような、でも眼に快い美があって、心を楽しませてくれる都市だった。

++++++

バルセロナから帰ったら、イギリスのオンライン書店に注文していた、山本タカト氏の画集『緋色のマニエラ』が届いていた。氏の最初の画集。線描や身体表現には生硬な部分が残っていて、少年少女たちの顔立ちは、まだ現実界への参照を残している。現在のタカト氏の作品は、厳格な描線と徹底して理念的な顔立ち(登場人物のほぼ全員が同じような顔だちをしている)が生みだす、生身の肉体が介在していないかのような――ある画家の方は、「植物的」と評していた――静謐なエロティシズムが魅力だけれど、少しの「破綻」から生々しさの覗く初期の作品も、妙なセクシュアルさがあって惹き付けられる。

同一空間内に配置されているはずの事物どうしが醸す、妙に浮遊した齟齬の感覚や――遠近法が微妙に狂っていること、遠景のものを近景より鮮やかに細かく描いていること、浮世絵風に一切の陰影をつけていないことが要因だろう――、顔と首の接続、関節の曲がり具合などの解剖学的なズレが、稚拙さではなくて、むしろ洋服の隙間から生の身体が覗き見えてしまったときのような、唐突な「肉」の存在感を生んでいる。

++++++

バルセロナで見つけた洒落た装幀の絵本とタカト氏の画集に潜んでいた、昆虫少年たち。偶然がたぐり寄せた縁戚関係。

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左から山本タカト「魔の刻」、Laurea Migraine, illustraciones Denei Broussaille, ud., Barcelona : Ed. Fragil, 1983、 Azucena C., illustracione Alto, Los ninos de Praga, Barcelona : Ed. Fragil, n.d.

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MONTHLY

APPENDIX

alter ego

alter ego

日々の思索と詩作。あるいは死せる蝶の標本箱。
空の色、月の相貌、夢の欠片、記憶の断片、思考の澱みと流れ、移ろい消え去ってゆくものの残渣を、留めておきたいと思っています。

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