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L'orbite metaphorique

2005-10

そのテマティックだったらランズマンとディディ=ユベルマンが言及されて然るべきだよね、とか、それはそもそもエイゼンシュテイン以来言語化されてきた問題系だよ、とか、おせっかいにも思うわけですが、リアルで知りもしない人のことはまあどうでもいいや。
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問いの立て方をもう少しどうにかしないとなあ、と思った。多中心的というか、論点を多く拾いすぎて散逸してしまっている。今の時点で何かを削ぎ落とすのではなくて、一つ背骨になるものを見つけるべきなんだろう。

ジョン・バージャーの『イメージ』を半分くらい読んだ。夜の図書館は孤独な巻貝のようだと思う。

インターネット上でのホワイトバンドを巡る騒動やら、一年前のイラク人質へのバッシングやらを観察していると、「ボランティア」や「チャリティ」という概念に対して日本の社会が持っている一種のアレルギーも、過熱したサイバーカスケード状況の一因なのかもしれないと、ふと思う。彼らの落ち度を捉えて、鬼の首を取ったかのような非難が噴出したり、憶測や詭弁によって「狂言」だの「詐欺」だのと断罪する風潮が広まったりした背景には、慈善を偽善と翻訳しがちな独特の価値観も寄与しているのではないか、と。実際のところ僕たちの多くが、慈善などといった種類の言葉に、より正確に言うならば、それが普遍的で絶対的に正しい価値であるかのように振舞う人々に、むず痒い違和感を感じてしまうのではないだろうか。他の例を挙げるならば、博愛主義を謳うテレビのチャリティー企画番組だとか、あるいは街頭募金だとかに対して、「おしつけがましさ」や「胡散臭さ」などのネガティヴな印象を表明する人は、インターネット上を見る限りでもけっして少なくはないのだ。

別に僕はかかる価値観を糾弾しようとしているわけではないし、あるいはキリスト教的博愛精神あたりを持ち出してきて、単純な二項対立図式による安直な比較文化論を打とうとしているわけでもない。ただ、このようなメンタリティがどの程度までこの社会に特有のもので、それは何に由来するものなのだろう、と思うのである。

ここしばらく、黄昏時の空の色と月の相貌と雲の色調と昨夜見た夢と夢魔のような美術についての話しか書いていなかったので、趣向を変えてみた。かつては、ここはもっと自由にいろいろ書ける場所だったような気がする。

ヤン・シュヴァンクマイエルの夫人で詩人のエヴァ・シュヴァンクマイエロヴァーが逝去したそうだ。mixiのシュヴァンクマイエルのコミュニティで知った。チェコ語のウェブニュースはこちら

黒く濡れたアスファルトに小さな半円を描いて、金木犀の鮮やかな橙色が散っていた。季節は驚くほどの速さで輪転していく。

今日はひさびさに、磨き抜かれた鏡面のような月。




les soeurs des lis noirs。たまたま見つけたのだけれど、ヴィジュアルワークに惹き付けられてしまった。こちらで試聴できる。

半草半獣の新種の微生物が発見されたらしい。特定の藻類を捕食した後、その葉緑体で光合成を行なうのだという。「分裂して増える時は葉緑体は片方が“相続”。葉緑体のない片方には、捕食用の口が出現するという。」なんて、随分と奇妙なメタモルフォーゼだ。ちょうどプリニウスの『博物誌』の、奇天烈な生物たちについての記述を読んでいたところで、不思議なシンクロニシティを感ずる。 

残照の空に浮かぶ雲は、貝殻の内側のような薄桃色で、木々の隙間から昇る月が、夜の街を蒼色の中に沈めてゆく。

金木犀の金色の芳香が、鼻の奥に染みついて離れない。

貝殻の形態を、眼で撫でるように描写した文章を読む。それは頭の中でもう一度視覚に翻訳されて、巻貝の螺旋の尖塔を、筋模様や斑紋や突起の並びを、中心から縁へとかけて拡がっていく渦巻を、すぐ目の前に眼差しているような気がしてくる。

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ジャン=ピエール・ジュネの『デリカテッセン』を見る。ナンセンスで破壊的で毒入りキャンディな感じの笑い。ベッドのスプリングの軋む音と、同じアパルトマンで行なわれている活動の様々なリズムが、奇妙な共鳴をみせる場面が面白い。

夏からつい先頃にかけてずっと原稿とか発表とかあって、その流れがとりあえず収まったら一気に気が抜けてしまった。自分が半透明の羊羹みたいな、ぐらぐらぬらぬらした存在になったような気がする。

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とある発表のレジュメの引用文が印象に残ったので。

Der kuenstler (Klee) hat intuitiv die wesentlichen Strukturelemente der Stadt erfasst und sie in einer bildhaften Chiffreschrift, angelehnt an die Hieroglyphenschrift alter Stadtkulturen, nidergescrieben.
(Rombach, Leben des Geistes)

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研究ノートの方で致命的なスペルミスを見つけた。ていうか一年間ずっと気付いていなかったし。cirque(仏語でサーカス)をsilkと書いていたという石原慎太郎よりも恥ずかしい。

金木犀の分厚な芳香。あちこちに執念く張り付いていた夏の残滓は、いつの間にか消え失せている。

昨日は体の一部分が痒くて痒くて、特にお風呂から出て布団に入ったらうめき声が出るほど痒くて、何かの深刻な感染症なのではないかと思った。今日になったらその一部分に集中していた痒みはだいぶ和らいで、その分と言っていいのかは分からないが、体中の皮膚がくまなく痒くなっている。特に関節の裏の皮膚の柔らかい部分や、粘膜の部分が痒い。季節の変わり目やら何やらで、少し体が過敏になっているのかもしれない。今までは気にならなかった服の縫い目やタグが、皮膚に擦れて痒い。髪の毛が顔や首に触ると痒い。皮膚に恒常的に触れている何かになんて、普段は特に気を止めもせずに暮らしているけれど、一度こういう状態になってしまうと、もう何もかもがちりちりした痒みの原因となる。日常の中で透明化している何かが牙を剥いて現れ出てくるのは、こんな時なのだと思う。

プレゼンの準備が終わらなくて辛い。

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昭和40年会の東京案内

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「パランプセスト マジックメモ」でGoogle検索していたら、こんなもの見つけてしまいました。ネット八丁(何?)なイメージがあったから、このやる気のないサイトデザインは意外。URLの最後はTamaki S.のことなのね。一瞬tamakissと読んでしまい、ひっくり返りそうになったよ。ちなみに我が家では彼は「たまちゃん」と呼ばれています。

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もうバカでも電波でも若気の至りでも何でもいいじゃん、現在の実力以上に見せることはできないんだから、と開き直ったらすごく気楽になりました。

1835年パリ刊行のピラネージ版画集『ローマの古代遺跡(アンティキタ・ロマーネ)』の実物を閲覧してきた。第2版の、タイトルページが息子フランチェスコによって改版されスウェーデン王への奉献になっているヴァージョンだ。トロンプ・ルイユとして描かれたカルテリーノ(小紙片)や石碑の断片が、本当に平面から浮き上がって見えることに驚く。地図の上にピンで留められた紙片を、思わず手で取り除けそうになる。こういうイリュージョンはえてして画面に接近すると失効してしまう場合が多いが、ピラネージの場合は至近距離でも「目騙し」として機能するのだ。銅版画であるから色彩には白と黒しかないわけだが、ハッチング(陰影を付けるための線)のヴァリエーションの多彩さにも瞠目させられる。実物を目にして初めて分かったのは、黒くインクの載った部分(原版の溝の部分)が盛り上がっていること。原版の彫りの線が、かなり深かったのだろう。

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自分とは無関係ながら、このオタンチンパレオロガスめ!と言ってやりたくもなったりする今日この頃。ちなみにオタンチンパレオロガスというのは、『吾輩は猫である』に出てくる苦沙弥先生十八番の罵り文句で、パレオロゴス朝のコンスタンティヌス帝のもじりである。



ノートパソコンのKのキーが脱落してしまった。嵌めてもまたすぐに取れてしまう。グリッド状に整然と並ぶキーの一部だけが抜け落ちたキーボードは、ローマ遺跡の剥落した舗装とどこか似ている。

夕方からすっかり寝入ってしまい、いくつもの夢を見る。僕の実家という設定の建物が出てくる。懐かしさと新規さが奇妙に入り混じった部屋の風景。実家は現実には二階建てのはずなのに、夢の中では三階まであった。僕は二階の居間でコロッケパンを食い散らかしてから、眠るために三階の部屋に上がっていく。階段は初めは短かったのに、階上に辿り着くまでには随分と時間が掛かった。僕の部屋はマホガニー色に塗ったベニヤで出来ていて、これは現実とは随分違う。ゴッホの絵に出てくるような、囲いのある木製のベッドがある。何故か隣の部屋には見知らぬ女が住んでいて、随分と騒がしい。夢の中は、視点が自分の身体から離れて、自由に浮遊するのが面白い。

mixiに潜入した。ブラウザでmixi開いたままワードで書き物をしていて、しかもその後パソコンを点けたまま暫く寝てしまったので、一日中「ログイン5分以内」という廃人のような状態に。誘って欲しい方がいらしたら、こっそり耳打ちしてみて下さい。

「ピラネージは、まで書いた」という状態だったものを、一気に半分くらい完成させた。流石すぎる。そういえば、「俺たちって流石すぎるよな兄者」という自画自賛が定番の流石兄弟AAを、最近見かけないので寂しい。ノートパソコンの機種にヴァリエーションがあって面白かったのに。

隣の部屋の若者が真夜中にも関わらずハイロウズを爆音で流していて、安普請アパートの地響きがすごい。友人を呼んで来ていて、二人で音楽に合わせて調子外れに歌ったりしている。今は「夜勤で聞くとトラウマになるよ」と言いながら、変に昭和歌謡な発声の曲を流している。ああ、「おたすけー、おたすけー、おたすけーマーン」だって。これきっと本物の昭和歌謡だね。悔しいからこれからTommy Februaryでも聴いてやろうかと思っている。

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alter ego

alter ego

日々の思索と詩作。あるいは死せる蝶の標本箱。
空の色、月の相貌、夢の欠片、記憶の断片、思考の澱みと流れ、移ろい消え去ってゆくものの残渣を、留めておきたいと思っています。